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新橋のガードを描く佐伯祐三。

別館GM作業室です。
佐伯/銀座風景/255*160.jpg
「銀座風景」

現在(2010年3月27日から5月9日まで)、新宿歴史博物館の『佐伯祐三展 ―下落合の風景―』に展示されている佐伯祐三の「銀座風景」の描画ポイントが、本館の『池田象牙店から銀座8丁目を眺める。』(http://blog.so-net.ne.jp/chinchiko/2010-04-25)によって検討されました。俯瞰の構図のスケッチは、なんらかの高所から描いたものであり、当時、佐伯祐三の妻・米子の実家、池田象牙店のあった芝区二葉町4番地の階上から土橋方面を望むと、まさに、このような光景が広がっていたことでしょう。この展覧会には、また佐伯が1927年に、ここに住む池田家の親族に出した手紙も展示されており、細やかな心遣いのある交流があったことを示しています。

佐伯/新橋風景/255*209.jpg 佐伯/新橋ガード/246*209.jpg
「新橋風景」               「新橋ガード」

さて、佐伯には更に2点、新橋、つまり池田象牙店の近所で描かれたとされる作品が、現存しています。その作品には鉄道のガードが描かれていますが、今から100年程前に、当時の山手線と東海道線のための高架鉄道が、浜松町/東京駅間に造られていたのでした。特徴的な赤煉瓦のアーチと石組みのコーナーの意匠を持つ高架橋は、なにかに覆われていない箇所で、私たちも普段目にしています。そして高架橋には、ガードが幾つも幾つもあります。

新橋ガード.jpg新橋を描いた佐伯の作品は、「新橋風景」「新橋ガード」等と呼ばれています。新橋周辺のガードといえば、池田象牙店の西北西直ぐの場所に「幸橋ガード(架道橋)」があります。巾が20m以上ある広いガードです。池田象牙店の南南西には、「二葉橋ガード」がありますが、これは更に広く30m近い巾のあるガードです。新橋駅の南には、もう一つ30m近い巾のある「源助橋ガード」があります。

「新橋風景」に描かれているのは、広いガードの一部 ですが、遠方にガードをくぐる向きの路面電車が走り、且つ、道と線路が大体直角に交叉しているようであるため、これは「二葉橋ガード」だと思われます。池田象牙店から徒歩1分未満の「二葉橋ガード」の入り口附近、描いたのが朝であれば東側、午後であれば西側に佐伯はイーゼルを据えていることになりそうです。

一方、「新橋ガード」と呼ばれている作品に描かれたガードは、狭いものです。新橋駅の南側に並ぶ「烏森橋ガード」「日陰橋ガード」「芝口橋ガード」は、いずれも狭めですが、佐伯の描くガードの道と線路の交叉角度は、左が鋭角で、右が鈍角になっており、これに該当するのは「日陰橋ガード」となります。その上、このガードは西側では「芝口橋ガード」と交叉するため左側の鋭角の角が無く、佐伯は明らかに「日陰橋ガード」を東側から描いていると思われます。

しかし現場を見ると、なんと、それが判りにくくなっていることでしょう。佐伯が立った時、高架線は写真で緑にした線路が4本の煉瓦造りのものだけでしたが、

日陰橋/東から.JPG
東側から見た「日陰橋ガード」

その後、現・東海道線と新幹線用の計4本の高架鉄道が東側に増設され、それが、このガードの位置ではピッタリくっついて空を覆っています。線路を支える鉄骨にも覆いがなされ、煉瓦は白くペイントされています。東側に増設された高架線の下は、後から設置された構造物で埋まり、元の煉瓦の壁が見通せません。

日陰橋ガード/ペイント中.jpg
Googleのストリートビューが捉えていたペイント中の日陰橋ガード

日陰橋ガード/ペイント中/分析.jpg
佐伯の「新橋ガード」と対照して考えてみる

とはいえ注意してみると、作品にあるガードの特徴的な要素が、確実に存在しています。また、作品の雰囲気自体は、現在ですと、このガードを西側から見つつ、左の角が欠けている点を補って想像すると、掴みやすいかもしれません。

日陰橋/西から .jpg 日陰橋/西から/補助線.jpg
西側から見た「日陰橋ガード」       「新橋ガード」を想像してみる

佐伯が、これらの新橋のガードを描いていた時、すぐ脇にあったのが新橋駅です。1909年に開業した煉瓦の朱色も鮮やかな駅舎。関東大震災の時の炎に巻かれ、屋根は落ちたけれど復興されています。佐伯は、真新しい頃の駅舎も知っていたし、震災直後に米子の実家に向かい焼跡に建つ姿も目撃した上で、1926年の帰国時に新橋で作品を描いたのです。
しかし、2枚の現存作品からでは心もとない想像ながら、新橋のガードを描く佐伯は、量感のあるピトレスクとも言えそうな駅舎は相手にせず、ガードが構築する闇と光に惹かれているように感じられます。「銀座風景」にしても、画角を少し左に振れば、高架鉄道の煉瓦のアーチの連なりやライトの設計した帝国ホテルが見えた筈でした。
佐伯は、それらも描いたのに作品が伝存していないのか、それとも、そういったモチーフは選ばなかったのか。私の心証としては、日本でも、都心部に殊にいくらでもあった煉瓦造りやコンクリートで出来た巨大な建造物について、佐伯はテーマとして深める意志を持たなかったように思えます。

烏森駅カラー/255*156.jpg 震災新橋駅247*156.jpg
開業当初の烏森駅だった頃の新橋駅     関東大震災直後の新橋駅
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ChinchikoPapa

ものたがひさん、しばらくでした。
『新橋風景』と『新橋ガード』のご考察、お見事です。佐伯のガード作品というと、1次渡仏の『パストゥールのガード』(1925年)がよく引き合いに出されますけれど、新橋のガード作品は明らかに『ロカション・ド・ヴォワチュール』(1925年)のレンガ造りガードを彷彿とさせます。(特に『新橋ガード』のほう) おそらく、新橋でヴォワチュールとそっくりな風景を見つけて、さっそくスケッチしたものでしょうか。
二葉橋ガードの写真、期せずして佐伯の描画位置にすごく近いポイントだったのかもしれませんね。でも、このガードはクルマがガードの壁面すれすれで、ひっきりなしに走っていますので、佐伯がイーゼルを立てたであろう地点にいたら、たちまち跳ね飛ばされてしまいます。これはガードの両側、どちらでも同じですね。『新橋風景』は、光の色合いや大勢の人々の雰囲気から、夕方に近い時刻ではないかと感じているのですが、そうするとガードの西側から描いていることになり、撮影した写真のすぐ背後が描画ポイントということになりそうです。
『新橋ガード』のほうは、日陰橋ガードには寄りませんでしたので、実際に目にしてはいないのですが、ものたがひさんが撮影された写真を拝見する限り、描画場所に間違いないように思います。このガードは狭く、クルマもされほど通らなさそうですので、描画ポイントに立てたものでしょうか。
どちらの場所も、作品の画像とともに描画ポイントへプレートを立てるのは、大正時代とは異なりもはや難しそうですね。^^; 即座にクルマが突っこんで来そうです。w
by ChinchikoPapa (2010-05-01 22:16) 

ものたがひ

C.P.さま、コメントとnice!を、ありがとうございます。
佐伯が、ガードが描きたくなったのは、第1次パリ時代の事だと思いますが、新橋駅周辺の様子自体は、米子さんと付き合い出した時分から、きっと熟知していたんです。w そして、帰国してからのある日、池田象牙店から、ひょいと絵の具箱とカンヴァスを抱えて飛び出して、ここで描く、という場所を見出したように思えます。
二葉橋ガードの作品が、西側からのものだとすると、確かに今そこに、描画ポイントのプレートを立てる事は難しいです。^^; でも、佐伯の頃は、支柱で3分割されたガードのうち、真ん中しか車は走っていなかったのでしょうか? 煉瓦の塀沿いに、ぞろぞろ人が歩いてます。中には、「おや、池田さんちのお婿さんが夢中で絵を描いている!」と気付いた人も居たかもしれません。
by ものたがひ (2010-05-02 00:11) 

ChinchikoPapa

ものたがひさん、リプライをありがとうございます。
ひょっとすると、米子夫人が佐伯を近所へ案内したのかもしれませんね。子ども時代の思い出などを語りながら、さまざまな風景を見せてまわったのかもしれません。当然、昔から馴染みの店などもあったでしょうから、そういうところへ立ち寄りつつ、意識的なロケハンだったかどうかは別にしても、周囲の風景を佐伯はよく知っていたと思います。
そして、もうひとつ興味深いのは、震災前の新橋風景も、おそらく佐伯はよく知っていたと思いますね。それを踏まえつつ、新橋駅や帝国ホテルといったおっしゃるとおりピトレスクな、堅牢で美しく整った風景には画題としてまったく惹かれていない・・・というふうに映ります。
二葉橋ガードは、クルマは当然走っていたのでしょうが、現在に比べて台数が圧倒的に少なく、またスピードも人がすぐによけられる程度だったのでしょうから、現在のように車道と歩道というような厳格な区別はなかったように思えます。きっと、いまの時代の人が大正期の市電や乗合自動車に乗ったら、きっとイライラするほどのスピードで動いていたでしょうから。w
by ChinchikoPapa (2010-05-02 11:02) 

ものたがひ

C.P.さま、コメントとTBを有難うございます。1926年の新橋の高架橋は、佐伯の作品を見ると、震災の火焔で古びて見えていたようです。下落合に戻って、目白と高田馬場の間にあるガードを改めて見る時、緑の土手は、いかにも郊外の風情で新鮮です。もっとも今は、すっかり石やコンクリートで固められてしまいましたが。^^; 
by ものたがひ (2010-05-02 12:27) 

ChinchikoPapa

ものたがひさん、以前に記事にしましたが、山手線の神田川ガードに当時の面影が色濃く残る、レンガ積みが現存しています。わたしがボンヤリしていて、気づくのに遅れた光景です。戸塚地域センターのオープンとともに、その横手から少し近づいて観察することができます。お近くへおいでの際には、ぜひご覧ください。
新橋ガードのレンガは「小口積み」ですが、山手線の神田川ガードや、中央線の四ッ谷駅ホームから見えるガードは、みな「イギリス積み」だったのがわかります。中・長距離列車の通行を前提としているためか、新橋ガードは非常に頑強に造られていますね。だからこそ、いまでも現役で使えているのでしょうが・・・。
by ChinchikoPapa (2010-05-02 17:50) 

ものたがひ

「戸塚地域センター」ですね! ありがとうございます。是非、近くから見てみます。^^


by ものたがひ (2010-05-02 22:45) 

ものたがひ

ぼんぼちぼちさま、ご訪問とnice!をありがとうございました。1枚の映像と1つの短歌から、感覚や想いが走り出していきます。
by ものたがひ (2010-05-23 10:38) 

ものたがひ

c_yuhkiさま、ご訪問とnice!をありがとうございます。…手応えのないハンドル、すごいです。
by ものたがひ (2010-06-04 18:25) 

ものたがひ

アヨアン・イゴカーさま、ご訪問とnice!をありがとうございます。昔、アトムの髪型を描くのが難しかった事を、思い出しました。w
by ものたがひ (2010-09-24 00:44) 

ものたがひ

Webプレス社さま、ご訪問とnice!をありがとうございます。マイカテゴリーが沢山あると、次々興味が湧いて面白いですね。
by ものたがひ (2010-10-04 00:00) 

ものたがひ

SILENTさま、nce!を二つもありがとうございます! 寒い毎日がつづきますと、夏の大磯の海辺が恋しくなります。
by ものたがひ (2011-01-18 21:49) 

ものたがひ

kurakichiさん、ご訪問とnice!をありがとうございます。「貫井分水をたずねて」、わくわくしながら読みました。^^
by ものたがひ (2011-03-25 15:38) 

ものたがひ

hanamuraさま、ご訪問と、nice!をいっぱい、どうもありがとうございました。私も、困るところに座り込む猫と暮らしています。^^;
by ものたがひ (2011-05-03 23:30) 

ものたがひ

siroyagi2さま、ご訪問とnice!を有難うございます。東電の今日の午前の記者会見で、3号機の温度上昇の理由が掴めない事を認めていましたね。先月末以来、150度も上がってしまった給水ノズル温度の抱える問題が、懸念されます。
by ものたがひ (2011-05-10 12:46) 

ものたがひ

kiyoさま、ご訪問とnice! をありがとうございます。色づいた葉を透かした光が、きれいですね!
by ものたがひ (2011-11-14 01:12) 

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