So-net無料ブログ作成

諏訪谷1925/曾宮一念「冬日」「荒園」に見る諏訪谷

別館GM作業室です。今回は、佐伯の1926年の諏訪谷(http://blog.so-net.ne.jp/art_art_art/2009-10-23)の1年前にあたる、曾宮一念の1925年の諏訪谷を見ていきたいと思います。

冬日h250.jpg

この作品「冬日」について、曾宮は「大正十四年一月、下落合の庭で大根洗場を見下したもの、まだ武蔵野の面影があった」(『曽宮一念作品集』1966)と述べています。曾宮の1920年代の半ばは、造形的なデフォルメのある画風への転換期にあたるとはいえ、「冬日」には、当時の諏訪谷が結構ありのままに、描かれているようです。まず、谷の東西の尾根筋の高度の違いがあり、西の方の丘(画面の右側、1930年代に入って聖母坂が拓かれる丘)が低くなっていますます。それは、一万分の一地形図(1909年)を重ねてみると等高線一つ、2.5m前後の違いにあたる高度差でしょう。丘の一部に森が残っており、その手前に見えるのは、古くからの諏訪谷の斜面と思われます。

諏訪谷1925/分析.jpg

大根洗場の先の谷の曲がる所は、「冬日」では洗場上辺とフラットになっているように見えます。しかし、昔の地形図では洗場より低くなっています。これは、既に谷の埋立てが始まっていた事を示しているのかもしれません。洗場の向うの東の丘の裾の(画面の左側)土が剥き出しになっているのも、埋立てと関連している可能性がありそうです。
上の分析図で、赤い線で示したあたりを、「冬日」の画角と考えます。画面右下の家を、赤い四角の場所と想定しました。曾宮の庭より、3m近く低いGLにあたるでしょうか。この敷地を造るためには、斜面を削る事と盛り土をする事、両方が必要だったのではと思います。
先の「セメントの坪があったころ」の考察の中では、事情明細図と対応させた土手を漠然と想定しましたが、上の分析図では、1925年の時点での新しい造成によるであろう斜面をイエローオーカーで、昔からの斜面と思われるところをグリーンで描いてみました。

曾宮の「荒園」は、1925年の作といっても、桐の花が咲いているので、「冬日」より4ヶ月位後の制作になると思われます。その「荒園」の、Chinchiko Papa様に御教示いただいた「絶壁状の雍壁が存在しない地面がむき出しの斜面」(下の右の図に表示)を、分析図で考えると、まさに独特なカーブをもつ斜面が見出されました(グリーンの三角のところ)。このイエローオーカーの斜面では、等高線に直角な大きな切拓きが行われたと思われます。

荒園h250.jpg荒園h250/土手.jpg

「荒園」の画角は、緑の線のあたりに想定しました。曾宮の庭の中程にある桐の樹が手前に掛かり、佐伯の「セメントの坪」にある特徴的な家々(淡いマゼンダの中の家々)は見えず、画面右手の家の方が左の家より高いGLにある等の特徴を考慮してあります。
「冬日」と「荒園」に見える、諏訪谷の南東側の北向き斜面には、整合性がないようです。「冬日」の画面左の自然な斜面を延長しても、「荒園」で切拓かれている土手は想定しにくいのです(イエローオーカーのラインの断絶を参照)。おそらく、「冬日」と「荒園」の間にある1925年の春先に、ここにかなり切り立った土手が形成され、諏訪谷の中の宅地が造られたと思われます。谷の中の低かった場所には盛り土がなされ、東から西へ緩やかに下るひな壇状の整地も順次進んだことでしょう。曾宮一念の、この1925年の2作品は、諏訪谷の開発を巡るそのような証言にもなっていると考えられます。
nice!(7)  コメント(4)  トラックバック(1) 

nice! 7

コメント 4

ChinchikoPapa

こんにちは、またまた記事をありがとうございます。

>大根洗場の先の谷の曲がる所は、「冬日」では洗場上辺とフラットに
>なっているように見えます。

これは視覚の特性の違いでしょうか、わたしには洗い場から谷底へ向け、ゆるやかな坂状(斜面状)になっているように見えます。つまり、1/10,000地形図のどおりの地形に描かれているように見えますね。
おそらく、旧洗い場を埋め立てて宅地造成がなされる前の、諏訪谷の地形をそのまま写しとっているように感じます。ただ、草原や森林を伐採して地面を露出させることが、住宅地開発の第一歩だとしますと、まだ地形までは大きくいじられてはいないものの、関東大震災後に起きた人口の郊外大移動を踏まえた、住宅造成予定地の確保の段階であり、開発計画は震災ののちあまり間をおかず、すでにスターとしていた・・・と取れなくもありません。

>このイエローオーカーの斜面では、等高線に直角な大きな切拓き
>が行われたと思われます。

なるほど、曾宮も諏訪谷における宅地造成の進捗を、期せずして記録している・・・ということになりますね。面白いです。確かに、諏訪谷の南東角のあたりが、『冬日』と『荒園』とでは違和感があります。
『冬日』と『荒園』との時間差が4~5ヶ月としますと、斜面を削って土砂を運び出す工事が、かなり進んでいたのかもしれません。『荒園』では、諏訪谷の谷底は隠れて見えませんが、崖の淵に立って下を見下ろすと、土砂を運び出すトロッコの軌道が、何本か敷かれていたのが見えたのかもしれませんね。
by ChinchikoPapa (2009-10-27 18:01) 

ものたがひ

Papaさま、コメントにnice! ありがとうございます。
そうですね、「冬日」の諏訪谷は、確かに心持ち下り坂だし、水溜まりも見えますね。ただ、流れの風情が見えないのは、少し埋め始めているからのように思えます。
諏訪谷に、トロッコ! もしも佐伯が居たら、ちょっと乗ったりしたのではないでしょうか? ww
by ものたがひ (2009-10-27 20:45) 

ものたがひ

ロボライターさま、ぼんぼちぼちぼちさま、nice!をありがとうございました。
by ものたがひ (2010-04-05 23:03) 

ものたがひ

kurakichiさま、nice!を有難うございます。殿ヶ谷戸の風情、とてもいいですね。
by ものたがひ (2010-04-22 20:42) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。