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『商店が途切れる目白通りはどこ?』考

別館、G.M.作業室です。
では、まず本館特定の、描画ポイントのどこに違和感があるかを、図を使って御説明します。

   

この画角の特定のポイントは、1926年の事情明細図にある商店が視野に入らない事です。すなわち、「八百?」は右手外にあり、左手は目白通りの北辺ギリギリ、中央線より右側に洋館が入る…。一見、条件をクリアしているように見えます。
しかし、洋館(空中写真で特定されたのは、事情明細図の四番地の方?)の北の目白通り沿いの店が、この角度では見えてしまうと思うのです(薄茶色が店)。また、道が水色の丸のあたりから右カーブしている事が、絵に反映されていません。
私の想定した洋館は、「落合医院」です。1936年の空中写真では、既に建替えられているようで、シルエットを確認できないのが痛いですが、絵のような洋館であった可能性が、府営住宅よりは高いと考えます。落合医院の東北にも目白通り沿いに店がありますが、この角度ならば、なんとか樹々の中に入ってしまいそうです。画角が狭い事による奥行き感がでていることも、重要な特徴です。また、この描画ポイントから望む目白通りは、遥か向うで右折し、絵と一致します。立ち位置は、長崎側の四一四二番地の空地(この事情明細図は1926年の落合町と長崎町を合成したもの)。家の北面と西面がほぼ等分に見えている事も、落合医院の方が、やや分が良いといえるでしょう。

    
その上、こちらの地点が、正に、下落合の「商店が途切れる目白通り」であり、ここに到れば、落合町の北西隅(下落合字大上を除く)に立つ事になるわけです。佐伯の、隅を押さえる傾向は、C.P.さまに教えて頂いたと思うのですが…。


C.P.さま、早速のコメントありがとうございます。御指摘に沿う様に描画ポイントを以下の様に直してみました。如何でしょうか。
画角に入る店の有無は、一旦棚上げにしても構いませんが、道のカーブについては、駄目です。1936年の空中写真を見れば、カーブがある事は、明らかではありませんか?現状より、1926年に近いのです。描画ポイントから引いたラインから離れて、右カーブしていきます。
さて、それもさておき、もっと詳しく画面を見ましょう。絵の道の右手にある南の敷地に入る段のようなもの(赤い線)は、C.P.さまのポイント(赤紫の線の入った事情明細図)から見える細い道(うす赤く表示)にいい感じで対応する様に見えます。一方、緑の矢印を付けた道幅の変化は、私のポイントの方と関係がある様に見えます。また、そのあたりから南へ入るラインの向うに(緑の点線)家があり、ラインと家がぶつかりそうな(但し先程の赤いラインを前提とする)C.P.さまのポイントより、私の方が良さそうに思います。それから、道の左手は、殆ど分からないとはいえ、あまり店がある様には感じられません。事情明細図を見ると、より西で商店の途切れた方との関連が強そうです。こんな事を考えてみました。

        


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ChinchikoPapa

まず、描画ポイントですが、わたしが想定した位置は、ものたがひさんが上の事情明細図で記入されているポイントのもう少し左(西)です。本館の1936年の空中写真には、北側から直角に入りこむ道のあたりに赤い→の基点を置いています。ただし、「八百丈(大or文)」が入ってしまうというご指摘ですが、これについてはのちほど触れます。
それから、目白通りの形状ですが、地図や空中写真で鳥瞰しますと右へとカーブしているように見えますが、実際に目で見るとそのカーブはほとんど感じません。このあたりの目白通りは、直線化のような整備はされておらず、両側を数メートル、歩道としてセットバックしただけですので、いまでも当時のままの道筋です。現在の写真をご覧になっても、右へとカーブしている道には、地上からではほとんどわからないのは、わたしが想定する描画ポイントから撮影した記事冒頭のカラー写真でも明らかだと思います。また、通りのはるか向こうで右折しているように見えるのも、絵とよく一致しています。
商店が見える見えないをつかれると、痛いですね。わたしも悩みましたけれど、当時の商店の形態として、現在のようなディスプレイが前面に張り出すように造られた建物ではなかったことが1点、もうひとつは、ほんとうに建物が建てられていたのか?・・・という疑問が2点目です。まず1点目ですが、「八百○」の細長い敷地を考慮した場合、少し前まで東長崎にあった「市場商店街」(場所を移して今もあるようですが)のように、敷地の奧、ひっこんだところに見世を拡げていたのでは?・・・という想像が働きます。ひょっとすると、農家の延長線のような建物だったのかもしれません。通りを歩いている人にモノを売るという感覚ではなく、当時はお屋敷への御用聞きが当たりまえだった時代に、今日の「八百」屋の見世前や店舗を想定してはマズイのです。
もうひとつは、建物がほんとうにあったのか?・・・という疑問です。たとえば、「下落合事情明細図」では、実際に建物が建っていない場所にも所有者の名前が記載されて、あたかも建っているように記入されていたり、逆に建物があったはずなのに建物らしき形が記入されていなかったり・・・という現象が頻繁に見られます。店舗ですので、その可能性が低いように思えますが、落合医院が建てかえられた・・・と仮定されるものたがひさんには、わたしの仮定も「あり」でしょ?(^_^; 「八百丈or大or文」の建設予定地だった・・・と、解釈できないこともありません。
余談ですが、東京では野菜を売る店のことを「青物屋」、野菜+果物を売る店のことを「青果店」といいますが、「八百○」と屋号をつけているところをみると、大阪出身の方、あるいは大阪資本の青物屋なのでしょうか? 「八百屋」は大阪方言です。
第三府営住宅については、ちょっと継続して調べてみますね。
by ChinchikoPapa (2006-06-09 12:44) 

ものたがひ

C.P.さま、コメントありがとうございます。描画ポイントの修正と、追加の分析、ご覧下さい。
by ものたがひ (2006-06-09 16:26) 

ChinchikoPapa

まずカーブの件ですが、わたしの描画ポイントの位置は、ものたがひさんが言われている描画ポイントの、まさにそのカーブしているところにあるわけですよね。
ものたがひさんの描画ポイントから見れば、佐伯の描く目白通りの奥が右へ曲がっているように見えるのは、このカーブのことを言われているのだと思うのですが、わたしの描画ポイントから見れば、しばらくまっすぐにつづいているように見える目白通りは、奥へ目を凝らすとやはり右へとカーブしているのです。
1936年の空中写真を、もう少し引いてご覧ください。この通りが二又交番のあたりまで、右へ右へと曲がり勝ちにつづいているのがおわかりいただけると思います。(わたしのサイトのほうへ掲載しました) つまり、佐伯が描いた目白通りの先行きが右へ右へとカーブしているから、わたしが描画ポイントとしたあたりのカーブを、イコール描いていることにはならない・・・ということです。
先にも書きましたが、現状のカラー写真でも、また1936年の空中写真でも、わたしの描画ポイントから見た目白通りの先行き(突き当たり)は、右へとカーブしているように見えます。佐伯の描く右カーブが、わたしの描画ポイントである・・・と断定できるとは、わたしには思えないんですね。
次に、ものたがひさんが「道幅の変化」とされている、右手の緑矢印のふくらみは、道にせり出した樹木の枝葉です。電信柱のかなり手前に描かれているのが、スキャニングして拡大した画像だとよくわかります。こちらも、わたしのサイトに掲載しておきます。
by ChinchikoPapa (2006-06-09 18:53) 

ものたがひ

コメントありがとうございます。重要な事、本館の方に、お返事いたしました。
by ものたがひ (2006-06-09 22:00) 

ChinchikoPapa

はい、さっそくお返事を掲載いたしました。
でも、東西を逆転させる発想は、逆に土地勘が邪魔をするのか、わたしには出てきませんでした。この調子で、先入観のないコメントをお願いいたします。<(_ _)>
by ChinchikoPapa (2006-06-09 22:17) 

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